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           ヨットクラブはどうしてできたのですか?

           30年でヨットクラブはどう変わりましたか?

           泊地は最初からいまの大矢崎港にあったのですか?
            また、ヨットは勝手に係留できるのですか?

           天草カップって何?

           体験セーリングやトライアスロンのボランティアって?

           いままでにどんなヨットが寄港しましたか?

           新聞や雑誌で紹介されたことは?

           ヨットのメンテナンスはどこでするのですか?

           ゲストでポンツーンを利用するには?

           ヨットクラブに入会するには?

 

 

 


 

Q. ヨットクラブはどうしてできたのですか?

 

A.1970年代の後半(昭和50年代のはじめ)、旧・本渡市(現・天草市)にあった喫茶店のオーナー(高岡晃廣*さん。現在は八代ヨットクラブ)を中心にガンバセイリングクラブとして発足したのが始まりです。
 「私(高岡)は、協会ができる3年ほど前に本渡にきて、小さなコーヒーショップを開店しました。一番の理由は天草の海でセイリングしたかったことと、ヨット仲間を集めることでした。そして、海やヨットを好きな人たちが、少しずつ集まってきて、店の名をとり「ガンバセーリングクラブ」という名称の集まりになりました。個性の強いのがあたりまえのヨットマン達ですが皆仲良くセイリングしたり、クルージングに行ったりして遊びました。
 一艇のクルーザーを皆で船底掃除したり、何人か共同でディンギーを購入し、一緒にセイリングを楽しんだものです。
 また、少しでも仲間を増やそうと茂木根で、ガンバセイリングスクールをしたり、よそのヨット乗りと交流すべく、熊本YC、八代YCのヨットレースに参加しました。私が八代に帰ることになり、短すぎた3年間の「ガンバヨットクラブ」は終わりました。でも、本当に短い間でしたがとても楽しく意義あるクラブだったと思います。」(10/20周年記念誌から)。

 高岡さんが八代に移られた後、1979年(昭和54年)4月に本渡ヨット協会が設立され、これが現在の天草ヨットクラブ(1999年に改称)になりました。

(写真・上)ヨットのある夕景

(写真・右)ディンギーセーリング

  

* 高岡さんは熊本のヨットの生き字引のような存在です。喫茶店「キャプテン・ガンバ」:八代市高島町4366-1

Q. 30年でヨットクラブはどう変わりましたか?

A.一番の違いは会員の平均年齢(^o^;!! 
 発足当時の会員は約40名、現在は34名です。見かけの人数は減っていますが、ヨットの数は数倍に増え、大型化しています。
 当時はディンギーが中心で、1艇を何人かで共同所有したり、艇を持たない会員も多かったのですが、いまはクルーザーが中心になっています。

発足当時の組織図は、こうなっていました。

2009年4月現在の組織図はこうなっています。

 会長と理事長は一本化されています。クラブの最高決定機関は総会ですが、年に1回の開催なので、実際の運営については必要に応じて開催される理事会で協議しています。
 また、クラブのポンツーンに海上係留する艇の所有者で構成されるオーナー会がありますが、これはクラブとは別会計(口座も予算・決算も別)になっています。
 広くセーリングに親しんでもらうため、一般会員*の会費は安く抑えて、ポンツーンの維持などお金のかかることはオーナー会員
**に負担してもらうという趣旨です(オーナー会員もクラブとの関係では全員、一般会員です)。もっとも、クラブのポンツーンに係留していないヨットのオーナーは、オーナー会に所属する必要はありません。

* 一般会員の会費は月額500円(原則として年払:6,000円)。資格等は不要。会員になれば何の得があるかというと、無料で古いディンギー乗り放題 ……ただし、自己責任で。依頼があれば一人で乗れるようになるまで指導します。
** オーナー会員は理事会とオーナー会/総会で承認される必要があります。権利だけでなく、自艇のメンテナンスや船検を切らさないこと、ポンツーンの維持管理に協力すること等の義務も生じます。

 

Q. 泊地は最初からいまの大矢崎港にあったのですか?
   また、ヨットは勝手に係留できるのですか?

A.発足当時のヨット協会の拠点は、南川の河口(下の図の●A)です。当時、ホーバークラフト用のスロープがあったので、ディンギーもそこから上げ下ろしできました。
 余談ですが、本渡と熊本を結ぶ高速船は、水中翼船、ホーバークラフト、マリンビューと次々に就航しましたが、すべて赤字で撤退しています(マリンビューは2009年3月で終了)。
 車社会になり、本渡港と瀬戸方面を結ぶ橋(平成橋)を新しく建設する計画が持ち上がったため、本渡港界内の大矢崎地先に移転したわけです(1991年/平成3年4月)。

なお、●B●Cは、別の移転候補地。Bは天草プリンスホテル裏に建設予定(当時)だった港、Cは結局実現しなかったヨットハーバー建設見込み地。現在も、第二瀬戸大橋建設のからみで上島側の干潟を埋立てるマリンタウン計画にヨットハーバーが含まれていますが、予算と埋め立て自体に対する環境問題により、実現の可能性は限りなく低いようです。

 以下は当時の資料(●A)

●B

●C

 なお、ヨットに限らずプレジャーボートを港に係留する場合は、管理者の許可を得なければなりません(漁港は漁協に)。
 天草ヨットクラブの場合は、港湾管理者の県に海面占有を申請して許可を受け、毎年、占有面積に応じた使用料を支払っています。ポンツーン製作・設置の費用は自己負担です。
 クラブではなく個人でポンツーンのような構築物を港に設置することは原則として認められず、県が設置している既存のポンツーン等に年間の使用料を支払って係留することになります。大矢崎港ではヨットクラブの対岸に県が設置したポンツーンがあります。ポンツーンを使用しない槍付け係留や漁港での係留については、港ごとに事情が異なるので一概に言えません。

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